2011年7月22日金曜日

ゴビへの旅路5日目

夜間、雨からくる湿度のせいか寝苦しかった
何度も寝返りをうっているとベッドが傾き落ちる
そのせいでまた眠れなくなった

7時出発と朝は早かったので6時半に目覚める
なんだか身体が重い、外はまだ雨が降り続いていた
ぬかるみの中、普段よりも(少し)慎重に車は駆けてゆく
見渡す一面空なので雲の様子がよくわかる
3時間くらいするともう雨雲の一帯を抜けてきた
揺れが安定しだし次第に眠っていた


目覚めると街にいた窓の外に前日一緒だった他ツアーのガイドがいる
「レストランで飯食って休憩だから!2時間後に出発よ」的な事を言っていた(多分)
レストランとは名ばかりの、でも地元民がよく集まっている安食堂に連れていかれる
ドライバーが選んでくれたメニュー羊肉定食的なものだった
胃が小さくなっている為、量に不安を感じるも美味くすぐに平らげる
ドライバーの分も出すも当然のような態度で感謝の言葉もない彼が次第に傲慢になってきているように感じ少しいらつく


その後、車を整備するようで我々は休憩所的な場所で待たされる
Mr.ペキンのとこの人々も同じように暇を持て余していた
どう過ごそうか考えているとジャスティンからこの街•エディンダライはダライ•ラマにゆかりのある街的な説明を受ける
確かにダライって街の名前についてる!!寺があるようなので行ってみる事にする


無事に到着するも寺は忘れられたように閑散としている
老人と孫が来て寺を開けてくれる
拝観料をとられるも中は外以上に酷かった
すすやほこりだけではなく適当に置かれた物達
ダライ•ラマの写真の横に何故かコンロもあったりする
しかし外にある仏舎利塔は2009年に建てられたものだった
幾つもの謎を残しつつまた休憩所に戻る


暇で蟻の観察をしていた
その休憩所には2匹の黒い子犬がいた
ぼうっと見ていると2匹はぽっとん式の便所に入っていった
(そこには俺がさっきした大便が…)と思いながら見ていた
すると1匹が出てきて親犬を呼びに行く 
どうやらもう1匹が怪我をしてしまったようだ
救出された子犬が前脚が真逆に折れ曲がっていて痛々しかった

暫くして暇を持て余していた白人女性が不憫に思い餌をやりはじめた
その餌を頑張ってとりにくる怪我をした子犬
その白人女性も何度か見かけていた女性だった
潔癖性な女性のようだったので怪我の原因が便所落下にある事を知らないでよかったなどと考えていたら車がきた


ペキン車と並走しながら車は出発し先程行った寺の前で止まった、しかしもうここに用はない
途中でペキン車が故障し共同で修理をする、そのための並走&休憩だったのかもしれない
満腹の腹で揺られ続けきつくなってきてたのでちょうどよかった
暫く動けないと知りペキン車からわらわら人が出てくる
こっちは総勢4名、ペキン車は倍の8名だからなあ……きつそうだ…


窓ごしにペキン車で異常にテンションが高かったダリ髭の男が話しかけてくる
ブルガリア出身でNYからきた自称ファッション関係のその男は前は関西にも寄ってきたようでなかなか面白そうな人物だった
しかし少し話したぐらいで車が治り出発する事になった
常にハイテンションの彼は「皆!ここにシンガポールブラザーと日本のブラザー&シスターがいたぜ!!」と叫びながら車に戻っていった
ペキン車の連中は苦笑い そんな少し浮いた彼が愛おしく思えた


少し走り道が別れ我々は初日に泊まったドライバー宅へ到着
何だかここはとても落ち着く、色々なモンゴルの子供達を見てきたがここの子は皆素直でカワイイ感じがする
のんびり読書をしていると遂に深夜特急6巻を読み終える
終盤ヨーロッパ以降一気に読破してしまった
日本から持ってきた残りの未読本は白洲次郎の本と出発の朝に下馬で拾った世界遺産本のみ
困ったなあ……


晩ご飯は羊肉炊き込みご飯をご馳走になる
醤油があった事から日本向けに作ってくれたのか?
夜は前回と同じようにまたまた子供達が暴れ回る
ドライバーの三男で3歳のオットコウ君はまさにブレーキの壊れたダンプカー
前転の要領で女の子に突っ込み倒れたらマウントをとり殴る殴る
その勢いで暴れ回るためたまに自滅するも決して泣かない
なんだかここにきて子供好きになったような気がする

この夜も22時頃、また家族と一列になり眠った
こうしてツアー最後の夜は終わった

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