2011年7月29日金曜日

蒙古最終夜にて

はやいものでモンゴル滞在も明日までとなりました
一昨々日は若者に人気の市場と言われる3地区へ
然し乍ら日用品と若者向けの洋服屋ばかりで微妙だった(民族的なものを見たかった為)
蟲が飛びまくっておりぶつかってきて大変だった(周囲の人のリアクションを見るにゴキブリ的な存在のよう)



一昨日は国立オペラ劇場へ
オーケストラ鑑賞(歌唱/ホルン的な民族楽器/交響曲的なの/そして何故かラストはWe are the champion)
女性独奏独唱やカルテット奏的なのや馬頭琴なの独奏(ホーミー的な歌い方※歌と口笛的と演奏を同時に奏で凄かった)
ダンス(8人の女性が6つの茶碗をもったり頭に乗せたりしながら踊る、終盤中に液体が入ってた事がわかり驚嘆)
坊さん的な人を中心に仏像をイメージしたようなきらびやかな衣装な女性&チベット仏教的な被り物した人々も加わりダンス
そして多人数での走り回る運動量高いダンスや超軟体な女性が痛々しいまでの体位を見せまくる
そんなショーを鑑賞してきた、場所が場所だけに値段は高め(といっても1000円弱)でも大満足



そして昨日は一番の市場ナラントール•ザハへ
優しい人々に助けられ現地語で理解な不能なバスでも無事到着
中に入り大きさに驚く(築地的な感じとでも言いましょうか)
盗品的なものからどう見てもガラクタ(古びた鍋の蓋とか)まである
スリが多く有名だったので万全の警戒もあり被害はなし
NEXTのロシアに向けて暖かい服を探したが収穫はなし
相方が探してた子供用の民族靴をやや根切りゲット

帰りは乗り合いタク的なバンに勘違いから乗る事に
日本なら10人でギリだろうがどう見ても25人以上乗ってる
狭くてきつきつだったが限界まで人数を入れたいようでなかなか出発してくれないw
それに乗り辿り着いたのは駅近くにあるVoyage Hotelの韓国レストラン
ウランバートルで唯一馬刺を食べれるという事で来たんだが無かった…
仕方なしに焼き肉400gwp頼むも付属して10つの小皿がくる
キムチを代表する韓国有名食的なのが並ぶも食えないものばかり…
結果的にチヂミを食べれる事がわかり限界まで食いきる
その後猛烈な便意に襲われ宿まで走るはめに…



そんなこんなで迎えた本日
出発前日という事で予定は入れてなかったが天候不良で気温低く風邪の初期症状が
安静にしてたおかげで体調は安定しつつあり一安心
明日からはモスクワに向けて4日程シベリア鉄道乗車
既に寒さに耐えられない状況だがどうなる事やら…

2011年7月28日木曜日

写真で振り返る出発→上海

出発:東京駅にて荷物


                                                         茨城空港にて:春風航空搭乗 



                                                        万里路宿舎:上海滞在中の良宿


                                                      路上にて:日が暮れれば露店出店



                                                             最寄り駅:アクセス良好
             
                                                      駅前:バイクタクシー客待ち多し 



                                                      衝撃:金太郎スタイル(よく見る)


                                                              ギター:弾けはしない




                                     M50:上海の廃工場を改造したアートギャラリー通り


                                 内部:ギャラリー多数あり
               
                                                        裏口:或は搬入口かもしれない
                 
                                                               巨人:2年前にもあった

                                                               作品:ただそこにある
             
                                                            一角:ギャラリー内部にて

                                                        標識:とまってる鳩も造りもの
      
                                                          混在:変わらないものもある

                                                          通りにて:少し入れば生活域
               
                                                       興味深い:真ん中黒塗り毛沢東
                                                       
                                                          高層ビル群:上海らしい対比


                                                             列車:北京に向けて移動


                                                               列車内:食堂車両にて


つづく

2011年7月26日火曜日

ウランバートルの日々

ゴビから戻りはや数日

存分に寝て過ごした後
インターネットケーブルをUSBに繋ぐやつ買ったり
スターウォーズエピソード1から見始めたり
自然史博物館や民族博物館に行ってみたり
ウランバートルバスを攻略したり
独立記念のザイサントルゴイの丘へ登ってみたり
宿近くの有名なガンダン寺に行ってみたり
節約も兼ね自炊をはじめてみたり


そんな感じで平和に暮らしております
自炊のおかげで原価の安さがわかりなかなか外食や飲みに出たりするのが億劫に


宿の客もいなくなり我々だけなのでネットも使い放題(よく停電するのが難点)
飽きつつあるけど滞在日数は残り3日
民族音楽と一番の市場への遠征と疲れてきた体のケアを堪能予定



次は再びシベリア鉄道で4日弱揺られモスクワです
英語が通じないらしく危険も多く物価も高いロシアです
その後は未定 どこへ行こう?

2011年7月22日金曜日

GからUBからのNOW

夜間はまた寒かった 
どうもこの家はドアは閉めないようだ
夜間に何度も目覚めたので夢が現実かよくわからないが 
ゲルの天窓?からちょうど真上に月が見えたのが綺麗だった 


朝ご飯はクッキー的なものだった 前回のパンと同じように食す
そして出発 どれだけ自滅しても泣かないオットコウが泣き叫びキュンとなる
少し不快な事もあったが思い出は美しいままにしておきたい

ストレスを感じながらも車は進みいつの間にかまたペキン車と合流していた
途中でパンクした時いきなり現れたから驚いたw
はやくウランバートルに戻りたかったが昼休憩を挟む
そこには小川があり眺めているとオタマジャクシがいた
10数年ぶりにオタマジャクシを見たかもしれない…



ペキンツアーより先に我々は出発しいよいよウランバートル市内に近づいてくる
途中雨の影響が下水の異常かわからないが水没状態の土地もあったが車は進んでいく
ウランバートル市内に入り交通渋滞で何度も事故しそうになるもなんとか宿へ到着
残しておいてくれた部屋に荷を運び、久々にゆっくりする
便座の存在がこうも便通をよくしてくれるとは


少ししてからATMを探し外に出る通りを歩いているとPUBから出て来た入れ墨Tシャツの男が段を踏み外し路上にダイブ
手にもっていた酒瓶は割れ顔や身体に突き刺さっている様はアブドーラ小林を彷彿とさせた
そんな一人大日本プロレスが眼前で起こり動揺するもウランバートルの治安の悪さを思い出し通りすぎる
14時頃からこんな様子なんて夜間はどうなるのか…


モールを発見し金を卸し食料を買い込もうとするも疲れからか頭が働かず結局買ったのは飲料水ばかり、歩き疲れ宿へ戻りニュースチェックでなでしこ優勝を知る
それよりも原田芳雄さんの方がショック…そして棚橋防衛成功に安堵したりでのんびり過ごし
翌昼ノートに書き溜めてた文を入力し終えたなう
とりあえず般若ニューアルバムBLACK RAINダウンロードするのが楽しみ
そんな感じで元気です

追記:iTune storeになかった…今月中にあがるといいなあ……渋谷センター街に般若の何があるのか気になるところ

ゴビへの旅路5日目

夜間、雨からくる湿度のせいか寝苦しかった
何度も寝返りをうっているとベッドが傾き落ちる
そのせいでまた眠れなくなった

7時出発と朝は早かったので6時半に目覚める
なんだか身体が重い、外はまだ雨が降り続いていた
ぬかるみの中、普段よりも(少し)慎重に車は駆けてゆく
見渡す一面空なので雲の様子がよくわかる
3時間くらいするともう雨雲の一帯を抜けてきた
揺れが安定しだし次第に眠っていた


目覚めると街にいた窓の外に前日一緒だった他ツアーのガイドがいる
「レストランで飯食って休憩だから!2時間後に出発よ」的な事を言っていた(多分)
レストランとは名ばかりの、でも地元民がよく集まっている安食堂に連れていかれる
ドライバーが選んでくれたメニュー羊肉定食的なものだった
胃が小さくなっている為、量に不安を感じるも美味くすぐに平らげる
ドライバーの分も出すも当然のような態度で感謝の言葉もない彼が次第に傲慢になってきているように感じ少しいらつく


その後、車を整備するようで我々は休憩所的な場所で待たされる
Mr.ペキンのとこの人々も同じように暇を持て余していた
どう過ごそうか考えているとジャスティンからこの街•エディンダライはダライ•ラマにゆかりのある街的な説明を受ける
確かにダライって街の名前についてる!!寺があるようなので行ってみる事にする


無事に到着するも寺は忘れられたように閑散としている
老人と孫が来て寺を開けてくれる
拝観料をとられるも中は外以上に酷かった
すすやほこりだけではなく適当に置かれた物達
ダライ•ラマの写真の横に何故かコンロもあったりする
しかし外にある仏舎利塔は2009年に建てられたものだった
幾つもの謎を残しつつまた休憩所に戻る


暇で蟻の観察をしていた
その休憩所には2匹の黒い子犬がいた
ぼうっと見ていると2匹はぽっとん式の便所に入っていった
(そこには俺がさっきした大便が…)と思いながら見ていた
すると1匹が出てきて親犬を呼びに行く 
どうやらもう1匹が怪我をしてしまったようだ
救出された子犬が前脚が真逆に折れ曲がっていて痛々しかった

暫くして暇を持て余していた白人女性が不憫に思い餌をやりはじめた
その餌を頑張ってとりにくる怪我をした子犬
その白人女性も何度か見かけていた女性だった
潔癖性な女性のようだったので怪我の原因が便所落下にある事を知らないでよかったなどと考えていたら車がきた


ペキン車と並走しながら車は出発し先程行った寺の前で止まった、しかしもうここに用はない
途中でペキン車が故障し共同で修理をする、そのための並走&休憩だったのかもしれない
満腹の腹で揺られ続けきつくなってきてたのでちょうどよかった
暫く動けないと知りペキン車からわらわら人が出てくる
こっちは総勢4名、ペキン車は倍の8名だからなあ……きつそうだ…


窓ごしにペキン車で異常にテンションが高かったダリ髭の男が話しかけてくる
ブルガリア出身でNYからきた自称ファッション関係のその男は前は関西にも寄ってきたようでなかなか面白そうな人物だった
しかし少し話したぐらいで車が治り出発する事になった
常にハイテンションの彼は「皆!ここにシンガポールブラザーと日本のブラザー&シスターがいたぜ!!」と叫びながら車に戻っていった
ペキン車の連中は苦笑い そんな少し浮いた彼が愛おしく思えた


少し走り道が別れ我々は初日に泊まったドライバー宅へ到着
何だかここはとても落ち着く、色々なモンゴルの子供達を見てきたがここの子は皆素直でカワイイ感じがする
のんびり読書をしていると遂に深夜特急6巻を読み終える
終盤ヨーロッパ以降一気に読破してしまった
日本から持ってきた残りの未読本は白洲次郎の本と出発の朝に下馬で拾った世界遺産本のみ
困ったなあ……


晩ご飯は羊肉炊き込みご飯をご馳走になる
醤油があった事から日本向けに作ってくれたのか?
夜は前回と同じようにまたまた子供達が暴れ回る
ドライバーの三男で3歳のオットコウ君はまさにブレーキの壊れたダンプカー
前転の要領で女の子に突っ込み倒れたらマウントをとり殴る殴る
その勢いで暴れ回るためたまに自滅するも決して泣かない
なんだかここにきて子供好きになったような気がする

この夜も22時頃、また家族と一列になり眠った
こうしてツアー最後の夜は終わった

ゴビへの旅路4日目

前夜夕暮れ前には既に眠りこけていた 沢山歩いて疲れていたのだろう
何時だったかわからないが辺りは既に暗くゲルの外ではモンゴル語が飛び交っていた
うるさいくらいだったが目覚めた理由は別にあった
部屋の中に何者かの気配を感じたのだ

自分を含め3名は皆ベッドで眠っていた
しかし蠢く何者かがいる
人影が出ていく時ドアから風が入ってきた
一番ドア近くだった為それで完全に目覚める

軽く荷を確認するも無くなったものはないようだ
また横になっていると暫くしてまた誰かが入ってきた
「Who are you?」と訪ねるも答えはなく出ていった
暗く姿は見えなかったがジャスティンも目覚めたようだった
警戒していると次にきたのは宿の親父だった 寒いからか布団をくれた

次にドライバーと他ツアーの英語がわかるガイドがくる
(我々のドライバーは英語を全く理解していなかった、意思疎通は全てリアクション、問題が発生するのも仕方ない)
翌日のプラン変更についての説得のようだったが納得してもらい今度こそ眠る




以上の事が夜間に起こったため起きた時間はだいぶ遅かった
他のゲルにいた人々は既にもう出ていた一番最後の出発となるもプラン変更のため余裕が出来たのか車はいつもより遅い
途中迷いながらも街を見つけ追加の食料を買い込み目的地のバエンザへ


到着すると欧米の若者を乗せたツアーが先着していた
我がドライバー(Mr.ドギー)とそのツアーのドライバー(Mr.ペキン)は旧知の仲のようだ
車も同じバンなのだが人数はこっちの倍はいる 
しかも皆ガタイのいい欧米人なので窮屈そうだ…
その中にシベリア鉄道で隣室でその後もウランバートル市内で見かけてた金髭くんと赤帽くんを見かける


英語のわかるガイドからバエンザはなんとかザウルスの卵が出た場所で恐竜が住んでいた地だと説明を受ける
そう言われても化石もなければ看板もない見た目にはただの谷というのがどうも…
そんな事を思いつつ昼食を食い車が近くのゲルキャンプへ


まだ昼過ぎくらいの到着のため暇を持て余す
見えていた丘へ散策しに行ってみる
丘を昇ってると砂に足が埋まりとても熱い
荒れ地といえど砂漠である事に変わりはない
既に見慣れた風景ではあるが辺りには動物の骨がよく転がり駱駝もよくいる


さすがに長時間歩き回るのはきつかったのでゲルに戻り深夜特急を読み進め遂に最終巻に
夕刻が近づき少しづつ涼しくなってくる
ドライバーと老婆がゲルの換気口を塞いでくれる
それだけ夜は寒くなるという事なのだろうか…


日が暮れる前、遠くに不思議な景色が広がっていた
例えるなら雲から雲が(まるで雨のように)降っているような感じ
光が辺り幻想的な感じだった
そっちに行ってみようとすると呼び止められる
読書中に相方が手伝ってた現地家族の料理を勧められる
骨付き羊肉/ジャガイモ/人参/玉葱/を豪快に石焼にした料理
シンプルなそれだけの料理が滅茶苦茶美味しかった
久々のカップ麺以外の食事に大満足


腹パンでゲルから出ると強い風が吹き雨がぱらついてきた
この旅に出て初めての雨だった  砂漠に降る雨
翌日、道がどうなるか不安を感じつつも雨の音を聞きながら眠った

ゴビへの旅路3日目

前夜も日暮れと共に早々と寝た
電子機器は充電不可なので残量を考えそう簡単に使えない
本を読むにしても夜にライトを点けると虫が寄ってくるだけ
要するにする事がないわけだ



そうしてまた陽が昇ると共に起床し早速出発
前日と同じように荒野を駆けてゆく
最初は新鮮だった風景だが一日の3分の1程、車の中
同じような風景がずっと続くわけで3日目となると飽きてくる…
またもやジェットコースター並の揺れがくるも馴れる
気にせず眠れるくらいに

そんな感じで車は駆けてゆく
腹がすけば車を停め布を敷きコンロで湯を沸かしカップ麺
暑い中だが贅沢は言ってられない
貴重な水という事もありスープまで飲み干すのだ


途中立ち寄った街で銀行を見つけたので行ってみるもやはり不可
連日よりガソリン代が安かったのが救いだった
車はゴビ南の国立自然公園へ
やっと楽しそうなところにきた!!!

ヤックルやカピパラを見るも長崎バイオパークのせいで別に感動する事もない
それよりも手つかずに自然の方が感じる事が多かった
高原から谷をどんどん奥へ進んでいく
山の水を飲んでみる 少し砂ぽいが美味い
ドライバーの水摂取問題のため水節制していたのでペットボトルに汲む


気がつくと1時間以上も時間が経っていた幾つもの谷や川を超えながら進もこの公園の一番の見どころであろう凍ったままの谷が見つからない
どうやらこの暑さで溶けてしまったようなのだ(少量の氷の塊は発見)
クタクタになりながらまた同じ道を戻る
金を出せば馬で移動出来るのだがそんな余裕はない…


そして車は近くのゲルキャンプへ
前日以上に何もない 
もはやシャワーもなければトイレも形だけ
谷に近い高地という事で風が吹き付ける 
夕刻前なのに既に寒く夜が不安になる


晩飯のカップラーメンは韓国製だった
海老の絵に惹かれ買ったのにただひたすら赤いだけ
日本だと絶対食べなかっただろが数少ない食料で贅沢は言えない
勿論一滴も残さず飲み干す
旅に出て10日弱、辛いものは克服しつつあるようだ

ゴビへの旅路2日目

陽が登り目が覚めた 夜間はなかなか寒く寝付きがあまりよくなった
お母さんは一番に起き早速朝食に支度  気まずかったので二度寝
再び起きると既に皆目覚めていた

山羊のミルクが暖かく優しい そして山羊マーガリン的なのと砂糖をパンに塗り
干し肉うどん的なものを食べ腹を満たし出発する


途中の給油でジャスティンの顔が曇る 昨日入れたばかりだ
その後、幾度かの休憩を挟みピクニック感覚でどんどん南に
草原から荒野へ、そして岩と砂だらけの景色へ…
再度の給油後ジャスティンの表情が更に厳しいものに
当初の予定より給油の多さが問題になる
ガソリン代は我々持ちなのです

車体により燃費の悪さと田舎ならではのガソリン代の高さ
ドライバーが我々の食料と水を摂取するのも想定外なのだ
残金を考えると足りない可能性が…
ウランバートル郊外はATM/換金が出来ない模様…


ジェットコースターのような丘を暫く走っていると本日の目的地の谷に到着
エアーズロックのような色をした岩肌
高さもあり風が気持ちいい

そして車は近くのゲルキャンプ場へ
1泊10$に焦る 早速の想定外
今後のガソリン代を考えると出すのは到底無理
ジャスティンの交渉により減額に成功する


その後、残金と今後かかるであろう金を計算し一番遠い場所へ行くのを削る事にする
それでギリギリ乗り切れウランバートルまで帰りつけるだろうという算段
その後は2日ぶりのシャワーを浴び(結果的にこれが最後のシャワーとなるw)

そうして読書をしたりジャスティンがイラン→中国→モンゴル→中国→北朝鮮→香港っていう旅の途中という事を聞く
3月頃は英語が全くわからない埼玉からきた日本人女性とエジプトを旅していたらしい
英語堪能、経験豊富、計算得意、日本語もおk
このジャスティン超助かる!!!

ゴビへの旅路1日目

起床し準備の最終確認
宿へ到着したバンに荷を積み込み朝食
宿の客が増えている 経営を心配してたのでちょっと安心
ラオスから渡ってきたフランス人熟年カップルとトーク
色々話し買ったが時間がなく出発

車内で話しているとジャスティン君が37歳と判明
全然訓じゃなかったw
ガソリンを入れ食料をかいこみ車は走る


ウランバートル市内から道路はずっとガタガタ
天井に頭をぶつけるくらいの揺れw
何故アスファルトに穴が空いているんだ…
けつが浮くような衝撃にカンボジアの道を思い出す

市内を出ると辺りは徐々に草原に…
人よりも牛馬羊との遭遇が多くなってくる
道や草原に溢れる動物達
バス停や電柱の影で休んでいる姿は人と何ら変わりない



幾度からの休憩を挟み16時頃、本日の宿となるゲルに到着
3棟のゲルが連なり子供達が沢山いる
ドライバーの家に泊めてくれるようだ

馬と牛と山羊に犬、そしてひいおばあさんを筆頭とする大人子供をあわせると25名以上の4世帯大家族へのショートステイといった様相
山羊ミルクと干し肉の粥を振る舞われ、読書したり寝たり思い思いの時を過ごす


地平線を見渡し風を全身に感じ太陽(ナラ)の光に照りつけられる
小学校の時、親に連れられ行った椎名誠のモンゴル映画とトークショーを思い出す
幼少時憧れた風景がそこにあるのだ


20時を過ぎて陽が暮れるにつれ人がどんどん集まってくる
モンゴルアンスコッチを酌み交わし一日の事を話している模様
人と人、そして動物が密接に生きている感じ
近所付き合いとかとは違う人の営み的なものを感じる
この感じ好きだなあ


馬に乗り歌いながら走り回っている少年
陽が落ちる前、放牧していた山羊を集め首に紐をかけ一列に繋ぎ女性は一斉に乳搾り
ソーラーバネルから得た電力でうつった白黒テレビにはNHK大相撲が流れていた
夜になると犬と子供達はどんどん元気になる
空気枕に興味を示し遊び回る子供達、小保育園状態にw
そうして陽が完全に落ちた22時頃、一家と異邦人3名一列に布団を並べ眠った

不審者に注意

昨晩日が暮れたのは22時頃だった
6時には日が昇る、モンゴルの夜は短いようだ

目覚め食事を済ませて日本から手配をしていたモスクワ行きのシベリア鉄道チケットを受け取りに代理店へ
探検しながら無事に到着し受け取り翌日ゴビ砂漠へ向かうため買い出しへ


朝食がパンだけだったので写真に釣られ入った店は地元客が絶えない人気店で良心的な値段と上質な味で掘り出し物をした気分に
量も多かったが旅に出てからあまり量が食べれなくなっていたはずなのに完食


その後も店を廻りサングラスを根切り水を25リットル買い宿へ
くたくたになりながらもシャワーを浴び洗濯をしblog大量更新後また外へ
時間は20時頃になり夕暮れ近くになっている

路上を歩いてると明らかに不審な筋骨隆々で墨を入れた男が変な動きで背後から前にまわりこんできた
とっさにさっと避けるも明らかに不審、何か言っていたが現地語でよくわからないのでスルー
おそらくスリか因縁をふっかける気だったようだ
日中の雰囲気から安心しきっていたが日暮れからはやはり危険なようだ


その後は警戒しながらも買い物を済ませ宿で軽食をとり砂漠行きの準備
無事に済みこのblogを記した後ネットで遊ぼうかと思ってリビングにきたら宿主の娘と母親が何やら真剣な話をしている模様
涙ぐんでいる……き、気まずい…
しかしPC諸々持ち込んできてるので帰るわけにもいかずPC立ち上げここまで記した
親子は既にいなくなった……申し訳ない事をした…


明日からの砂漠はどんな生活になるか…
電化製品はやっぱ持ってくのはまずいのか…
ipod充電できないよなあ…
水以外に何がいるだろう
不安は尽きないけど楽しんできます!

2011年7月15日金曜日

シベ鉄からの蒙古着

中国最終日7時47分発のシベリア鉄道に乗車するため朝5時半にアラームが鳴る
寝坊する夢を見たせいで15分間隔で何度も目覚めていた為問題なく目覚める
準備していると前夜着いたニュージーランドの彼を起こしてしまうも彼は俺らよりもはやくザックを片手に前門に出発
アターエフはまだ寝てる、観光客と旅人の違いを感じる


6時にはチェックアウトを済ませ地下鉄で北京駅へ
北京市内はバスは1元、地下鉄は2元でどこまでも行けるので凄く便利
無事に駅へ入り待合室へ前夜買った桃を食べてると7時20分頃ゲートオープン
ホームに進むとあのシベリア鉄道が!


無事に席へも辿りつけ一安心
暫くすると同部屋のデンマークカップルが来る
彼氏はセーム•シュルトとアレクセイ•イグナショフを足して2で割った感じの長身
うちらと全く同年代の彼らもウランバートルからモスクワへ行くようだ
程よい距離感を保ち列車は進む


朝が早かったため少し寝ていると列車は都会を過ぎ山村から渓谷そして農村へ
そしてまた街へ、どんどん景色は変わっていく
こうして列車から見ていて気づいたのは中国人はゴミを郊外に集める
それは高速の下だったり線路沿いだったり
ゴミの山が増えてくると街に近づいてくる
ゴミの量が多ければ多いだけ街の規模も大きい


食堂車でランチの肉団子定食?的なのを食べ「未来を写した子どもたち」を鑑賞
インドへの期待と言葉に出来ない感情が胸を掻きむしる
また少し寝て夕刻に少し早めのディナータイム
ディナーはフライドチキン定食
シベリア鉄道にはランチとディナーチケットが付属している
食事時間は車両ごとに決められている模様
次第に景色は荒野へなり身体や髪がざらついてくる


読書をしたり寝たり思い思いの時間を過ごすうちに20時半頃国境辺りへ
出国審査をしていると突然車両から出される
状況がよく読み込めず出ると車両の鍵を閉められる
検査&他車両の連結?などで暫く駅で待機させられる


他の乗客に訪ねるも列車がいつ戻ってくるかは誰も知らない
11時にはパスポートが帰ってくるといういう事でだいたいの時間は読めるもどう過ごそうか
突然の事でTシャツ短パン姿、財布もタバコもipodも持っていない
幸運な事に相方が財布だけは持ってきていたため残りの金を使うためにも食料を買い込む
どれくらい待つのかわからないので酒を飲みだすも外は段々冷えてくる
はっきりした温度はわからないが日本の10月の夜長のような寒さに
そして遠くでは雷がずっと光っている


酒は進もさすがに寒くなってきて駅構内へ逃げ込む
11時過ぎに列車は無事戻ってきた
飲酒のせいもあり眠気が襲うも出国の後は入国の審査がある
少し列車は走りまた止まる
気がつくとモンゴル人の乗員や軍人がうろついている
トイレに行きたくともセキュリティのためトイレには鍵が
ここからは眠気と尿意との戦いでひたすら読書で気をそらしていたので覚えていないが入国審査もほどよく時間がかかった
最終的に終わったのは2時間後?
尿意を我慢していると眠っていた


目覚めたのは6時頃、昨夜とうってかわり陽が差し込み暑い
トイレに行くも廊下は陽があたらず窓からの風で寒い
外の景色は地平線が見渡せるような草原
時おり見える放牧とゲル、モンゴルに入った事を実感
まだ誰も目覚めていないようだったのでベッドに逃げ込み読書
シベリア鉄道滞在中に深夜特急は4巻目へ
7時過ぎると徐々に目覚めだす人々


昨夜買い込んでいたカップラーメンを食べ二度寝したりして13時20分頃ウランバートルに到着
デンマークカップルに別れを告げ宿へむかおうとするとホームで客引きにあう
本来泊まろうと思っていた宿からメールの返信がきていなかった為、減額交渉するとあっさりOK
換金して客引きの女性の父親の車に乗り込む
家族で経営しているゲストハウスのようで色々とウランバートルについて教えてくれる

宿はウランバートルの有名そうな寺院、ガンダン寺の近くにあった
敷地には家とゲルとゲストハウスがありよさげ
家族も皆フレンドリーで部屋もよかったので決める
ネット環境がWiFiなしだったのに萎えるがシンガポールからきてるジャスティン君がUSBタブを貸してくれる
日本語もわかり諸々世話になる



少し休み街へ繰り出す
日差しがきついが風が心地よい
ゲル宿泊ツアーや必要機器を探しながら街を物色
ウランバートル最大のノミンデパートにて便意を催す
紙がないのは予想出来たが便座もなく洋式便器の上にうんこ座りで下痢
旅に出て8日で遂にきた
(因にその後食事でレストランに入るも便座はまたなかった、モンゴルの男性はケツがでかいから必要としない説あり)



レストランで肉を喰らい宿へ
モンゴルは陽が長く20時ぐらいまで昼と同じような空模様
しかし徐々に温度は落ちてきているので夜は寒くなりそうだ
シャワーを浴びこのblogを書いて21時50分、気づけば外は真っ暗
これから2週間モンゴルには滞在する
はてさてどうなる事やら

追伸:宿の新聞でモンゴル最大の祭ナーダムが前日終わった事を知る
   見たかったなーモンゴル相撲
   ウランバートルはなかなか物騒なようでPUBやBARでは喧嘩が日常茶飯事みたい
   スリや強盗や野犬も多い様子,ストリートチルドレン問題もあり夜間外出は危険なようだ
   店や宿の入り口が厳重な理由がわかった
  先ほど銃声のような音が何発が聞こえパトカーがけたたましく走っていた
  なかなか刺激的な街のようですw

万里

何故か4時に目が覚めた
ぼられた事に再度むかむかしながらも二度寝

突如5時に部屋の電話が鳴った
飛びおき出るも中国語
英語でかけなおしてもらうと万里の長城ツアーの迎えがきてると

時間は6時からのはずだがきてるものは仕方がない
大急ぎで支度しロビーへ降り車へ乗り込む


車は少し走りバスの前で停車
そうか、ここからはバスで移動か
中国語しか出来ないとこで依頼したため内容を把握していなかった
しかし運転手とガイドのおばちゃんが揉めている?
英語が出来る人間が誰もいないようだ


バスに乗り込みとりあえず様子を見る
事情はすぐに理解出来た
どうやら中国人のみのツアーに紛れ込んだようだ
しかしもう金は支払い済み

バスは6時に出発しガイドのうるさい中国語を掻き消すために大音量でipodを聞き深夜特急を読んでいると1時間程で山中へ
ここから万里までどれくらいだろうと思っているともう見えてきた
ち、近い…


おばちゃんが探してきた英語が出来る少年から9時にバスに戻ってくるようにと説明を受ける
ツアー客で列を作り万里の長城に入場
中は既に観光客(中国人ばかり)でいっぱい

とりあえず登りだすも早朝に叩き起こされた事と空腹でふらふら
石段は異常なほど急で段差も大きい
888mまで登り下りだすも下りも下りで一苦労
山に沿って作られてるので登山しているようなもの
月並みだがよくこんな物を作ったなと

早めに降りて無事にバスまで辿りつき出発
しかし万里の長城ツアーのはずが早速メインイベントを終え何をするのか…


うたた寝していると1時間もしないうちに次のスポットへ
中国語の説明の為理解出来なかったが世界遺産エリアにいる模様
何故かそこで石の説明&即売会
興味もてずに先に外へ

空腹をとうもろこしで満たそうとするも味気ない
トイレに行くと大は和式で小さな側面の壁があるだけで扉はなし
皆こちらを向きふんばっている
カルチャーショックと共にインドならこれがデフォかと


戻り同乗ツアーの人間を探すと二階のレストランに向かっている
食事つきという事で喜ぶも大部屋に無理矢理詰め込まれ衛生面が怪しい食器に箸
飯はどんどん出てくるもサイコロ角煮と飯と麻婆豆腐以外は危険な味
肉まんがあったので食べるも中身がなし!
しかし大人数で卓を囲むという中国的シチュエーションがちょっと嬉しい

持ってた水で食器を濯ぎ食べ始める
あっという間にテーブルクロスがめちゃくちゃに
中国には食事のマナーはないようだ
郷に従い次第に自分も荒れた食べ方に

最後にスープを飲もうとするも同乗ツアーのお母さんに止められる
中国人も気にするほど怪しい衛生面のようだ


その後移動したのは大土産物産展的なモール
とりあえず広い、そして中に溢れる人、人、人
中国のツアーにこういうのは付き物のようだ
流し見して外に出て皆を待つ

ふと建物の屋根付近で蜘蛛の巣に引っかかった蜻蛉を発見
まだ生きてたのでなんとか助けたいと試行錯誤するもなかなか切れない糸
木片を見つけそれで切るも粘着が強く蜻蛉の羽に絡まりつく
どうしようもないレベルになり諦める
何もしない方がよかったんじゃないかと後悔

そうこうとしている間に時は過ぎバスはまた動き出す
時間は既に正午を過ぎ次に向かったのは民族博物館
中国語の説明は全くわからず蝋人形を流し見して終わる



さすがに眠くなっていて寝てるとバスがどこかで止まった
起きると謎のバラックの前
中に入ると中は宝石?鉱石?を扱う外観とは似て非なる綺麗さ

ツアー客全員で個室に通され青年中国人が何か話していたが意味がわからない
すると異常にハイテンションな男が登場
言葉巧みに場を盛り上げる
何を言ってるかわからないが凄く胡散臭い
長々と話を聞いていたがさすがに堪えてきて読書

やっと終わったかと思うと別室で今度は即売会
さすがに呆れ外へ出る
暫くすると幾人かこちらに流れてきた
皆うんざりした表情や苦笑い
言葉はわからずとも感情の共有を感じた

結構な時間が過ぎ皆やっと出てくる
時間的にももう最後だろう
中国ラストなので外の風景を目に焼き付けてる


バスは鳥の巣等の北京オリンピック施設辺りで停車
何かを言ってるがわからない
8割の客が降りるも中に残っている人がいたので残ってみる


バスは暫く走ると地下鉄駅前で停車した
チケットブッキングの時に送迎の質問をすると迎部分に丸をされた意味がやっとわかる
軽食をとり宿へなんとか舞い戻ると同室のアターエフが中国女を連れ込んでいる
売春の気配がぷんぷん…ドミなのに…
空いてるベッドを使ってイチャイチャしていたので宿泊説も考える


休みたかったが機が削がれたので荷造り
アターエフと娼婦はどこかへ出ていった
シャワーを浴びネットで調べものをして部屋に戻るとまた戻ってきていた
廊下まで聞こえる大音量でTVを楽しむ娼婦に少しいらつく
PCを部屋に置きマッサージへ


前日見つけてたおばちゃんのとこで交渉しボディマッサージを体感
中国式はツボをぐりぐりするのでだいぶ痛い
我慢しながらも店の子猫に癒され終われば体はすっきり


桃とバナナを買いジャージャー麺的なものとビールを摂取
前日の経験から買い物や食事のこつがつかめてきた


部屋に戻ると娼婦は寝、アターエフはだらだらTV見てる
このまま朝までいて我々のチェックアウト後シーツ交換でどたばたしないかなどと思ってたらその時ははやくきた

部屋に戻り5分もしないうちに部屋の扉があいた
空いてるベッドへ入る人間がきたのである
飛び起きるアターエフ
いつも無口な彼がてんぱってるw
女を外に出し何かと言い訳をしている模様www


新しく来たのはニュージーランドからきたナイスガイだった
日本にも何度もきてるようでフレンドリー
もっとはやく会いたかった!
アターエフはシーツを取り替えてもら平謝り
口数が多く焦り具合が伺えるw


ここからが楽しい夜になりそうな気もするも明日は早朝からシベリア鉄道乗車なのでそろそろ休みまふ

追伸:アターエフはグルジア人の外見だった為ロシア圏出身と思っていたがハワイ出身だった
アターエフではなくむしろ太陽ケアだった